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ヒトラーの死

1945年4月30日、ヒトラーが死にました。
4月22日から始まっていたベルリン攻防戦は熾烈さを増し、
ドイツ軍は追い詰められていきました。
ついに生きる道がなくなったヒトラーは
自殺することになります。

1944年7月20日に起こったヒトラー暗殺は未遂に終わり、
それ以降、ヒトラーが命の危機にさらされることはなく、
ベルリンが陥落寸前となる1945年4月まで生き延びることになります。
ヒトラーに反する人たちは大勢いましたが、
皆ヒトラー側の人間に捕えられ、
ヒトラーを倒すには至らず、
ベルリンの陥落を迎えることになります。

悲しみが多数生まれた事実を考えたとき、
自分たちの社会からヒトラーのような人物を生み出さないようにするには
どうしたらいいのかということを真剣に考えます。
映像もモノクロではるか昔の出来事のように感じますが、
たった70年前の出来事でしかないのも確かです。
現在でもヒトラーを支持する思想は少なくないですが、
過去の悲しみを繰り返さないようにするにはどうしたらよいのか、
真剣に考え続ける必要があると思います。
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

ムッソリーニ死す

1945年4月28日、ムッソリーニが処刑されました。
すでに1943年9月8日にイタリアは降伏していましたが、
イタリアの第二次世界大戦はムッソリーニの処刑によって
区切りがつきます。

1941年にイタリアは第二次世界大戦に参戦しますが、
戦況悪化によって独裁者ムッソリーニの威信は失墜し、
1943年7月25日にイタリア国王に解任を告げられ、そのまま逮捕されます。
そして9月8日、後を継いだバドリオ政権は連合国側に降伏します。
イタリア側によって幽閉されていたムッソリーニは
ドイツ軍によって救出されました。
すでにイタリアの北半分はドイツに占領され、
そこにムッソリーニを首班とするイタリア社会共和国が建国されましたが、
ドイツの傀儡政権であり、
ムッソリーニに過日の勢いはもうありませんでした。
そしてイタリアのパルチザンに捕えられ、
処刑されることになります。
その死体はミラノの広場に吊るされました。

ドイツ、イタリア、日本の枢軸国の中で、
まずはイタリアが狙われ、
米英連合軍に占領されたイタリアですが、
早いうちに米英に占領されたことは、
戦争が早期に終わったということで、
イタリア国民にとってはよかったと思われます。
ソ連が介入せず、完全に米英側に占領されたことで、
国土が分割されることはなく、
戦後も一体としてイタリアは再出発することになります。

ムッソリーニが吊るされてさらされたことは、
今まで独裁者側がやってきたことをそのまま受けたわけで、
独裁者の最後とはそのようなものだろうかと思います。
ムッソリーニの死によってイタリアの戦争は決着がついたものと思います。

このあと、ヒトラーも死を迎えることになります。

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

米ソ両軍がエルベ川で出会う

1945年4月25日、ドイツ東部のエルベ川河畔のトルガウで
アメリカ軍とソ連軍が出会い、
米ソの両軍の戦線がつながりました。
ドイツを西から攻めていたアメリカ軍と
東から攻めていたソ連軍がついにつながったのです。

このとき、ベルリンでは激しい戦いが繰り広げられていました。
米ソ両軍がつながっても、戦争は終わらず、
もうしばらく戦争は継続されることになります。

しかし、第二次世界大戦は米ソの協力でもあると同時に、
米ソの対立のはじまりでもありました。
このとき、米ソ両軍は友好的に握手をしたわけですが、
そのすぐ後に、
米ソは対立をはじめ、
ドイツを東西に分割して、
にらみ合いを始めることになります。

戦争がもっと早く終わっていれば、という思いは
ドイツ人も味わっている感情だと思います。
米ソがドイツ本土に侵入する前に戦争が終わっていれば、
あるいはドイツは東西に分割されなかったかもしれません。
しかし、無条件降伏を突き付けられ、
逃げ場がなかったドイツの最高首脳たちは、
あくまで戦い続けるしかなかったのだろうと思われます。

この5日後、30日にヒトラーは自殺、
2週間後の5月8日、ドイツは降伏します。

テーマ : 太平洋戦争
ジャンル : 学問・文化・芸術

コシチェルニャック展を観てきました

コシチェルニャック展

昨日、早稲田大学で行われている
「真実を伝え続ける絵画 アウシュビッツに生きたM・コシチェルニャック展」
を観てきました。
先日、埼玉新聞の記事でこの展示会を知り、
開催期限は今日までということで、昨日、急いで観てきたところでした。

コシチェルニャックという人はポーランド人の画家で、
アウシュビッツ強制収容所を生き残った人です。
その人が書いた絵画を野村路子さんという早稲田大学出身の作家の方が保存していたのですが、
このたび、ポーランドに寄贈される(帰っていく)ことになり、
日本を離れる前に若い人に見てほしいということで、
早稲田大学で展示会が行われた次第です。

絵画はアウシュビッツの光景を描いたもので、哀しいシーンも数多くありました。
私が印象的だったのは、描かれるとらわれた人たちのまなざしに、
人間の尊厳というかあたたかなものが感じられたことで、
描いたコシチェルニャックという画家の意志の強さ・大きさを感じたように思いました。

アウシュビッツの中にいたころ、コシチェルニャックは多くの人物画を書いたのですが、
その絵は地下組織を通して外部に伝わり、
アウシュビッツの中でコシチェルニャックや仲間たちが生きていることを
伝えたということでした。
絵画を見て、その人物が生きていることを知った人たちは
どれだけ安堵しただろうかと
当時の人たちの心情を想像しました。

コシチェルニャックの絵は時代を超えて国境を越えて
私たちに人間として大切なものを訴えかけているように思います。
大変興味深い展示会でした。
このようなテーマの展示会が行われたら、
また観に行きたいと思います。

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

ベルリン攻防戦のはじまり

1945年4月22日、ソ連軍がベルリンに突入、
ベルリン攻防戦が始まりました。
ヨーロッパ戦線は太平洋戦線より一足先に戦いが進んでおり、
ついに首都ベルリンにソ連軍がなだれ込むという状況になっていました。

このときになってもヒトラーは戦争継続を諦めず、
ベルリンが廃墟と化していく中、ドイツ軍は戦い続けました。

このとき、日本では沖縄を舞台に熾烈な戦いが行われていました。
戦争は最後の局面であり、
ドイツ、日本ともに、もう降伏しても十分な頃合いであったと思いますが、
戦いは続きました。

無条件降伏を突きつけられたことは、
枢軸国側の責任者たちの命の保証もされないということで、
降伏を決断できなかった理由になったのではと思います。
無条件降伏ではなく、一定の条件を認めるような姿勢を連合国側がとっていれば、
あるいは戦争終結はもっと早かったかもしれません。

しかし、連合国には連合国の戦略があり、
無条件降伏を求めて完膚なきまでに枢軸国を抑え込もうという姿勢でした。
このような姿勢では戦争はなかなか終わらないと思います。

このあと、4月30日にはヒトラーがベルリンの地下壕で自殺、
5月8日にドイツは無条件降伏し、第二次世界大戦のヨーロッパ戦線は終わります。

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

エルヴィン・ロンメル

エルヴィン・ロンメル(1891-1944)は
「砂漠の狐」と呼ばれたドイツの将軍です。
ロンメルといえば北アフリカ戦線が有名ですが、
フランス侵攻戦やノルマンディーの防衛戦の戦いでも重要な活躍を見せています。

ロンメルを知ったのは昨日紹介したファミコンゲーム「砂漠の狐」でした。
それ以来、ロンメルという人物に深く興味を持ち、今まで自分なりに研究を重ねてきました。
ロンメルは現場主義をモットーにした人物で、
ここぞという重要な場面で最前線に現れて、現場の指揮を執り、
軍団の士気を高めたそうです。
反面、司令部は留守がちになるので、司令部の副官たちは困ったり、
直接末端の部下に指示を出すので、中間の上司は立場がなくなったり、
いろいろ困った部分もあったようですが、
ロンメルは独自の鋭敏な感覚で戦場の臭いをかぎわけ、
もっとも重要な場面に現れて軍団を指揮し、数少ないドイツアフリカ軍団で
イギリス軍に対し勝利を得たということです。

私は有名でありながらもよくよく調べると欠点も少なくなかった
ロンメルという人物を好きで、今まで調べてきました。
太平洋戦争からは少し広がりますが、
そんな第二次世界大戦のヨーロッパ戦線の部分についても、
少し触れることができたらと思っています。

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

アウシュビッツ強制収容所が解放される

先日もブログで書きましたが、
今日はアウシュビッツ強制収容所が解放された日です。
アウシュビッツはポーランドの南部にあった
ヒトラーが作ったドイツの強制収容所です。

このような施設があったことは子供のころから
戦争に関するさまざまな番組を通して知っていましたが、
強く自分の心に意識するようになったのは、
大学生時代にフランクルという人が書いた「夜と霧」という本を読んでからです。
著者のフランクルはアウシュビッツを生き残った精神科医です。

世界的にもまだ人権という意識が希薄だった時代。
ユダヤ人を絶滅させるという理解のできない目標を掲げ、
強制収容所で多くのユダヤ人の人たちが殺されました。
人が人として生きていける権利の大切さを思います。
戦争になったからルールはない、何をしてもかまわないではなくて、
戦争であってもルールは存在すると考えます。

現代に目を向けると、アウシュビッツのような悲劇は現代でも繰り返し行われていて、
世界的に非難され、その悲劇を阻止しようという機運は盛り上がりつつありますが、
ともすると武力行使の理由づけにされるだけという感じで、
戦争を始める口実に使われているだけという感じがぬぐえなくもないと感じています。
「世界警察」のような存在を作ることがまだまだ難しい現在においては、
ルールを作ることも守らせることも難しい現実ではありますが、
少しずつルールを作っていこう、
やっぱりそういうのはおかしいよね、いやだよね、
という機運を高めていくことが大切だと考えています。

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

アウシュビッツ解放70年

27日、アウシュビッツ強制収容所は解放70年を迎えます。
当日はアウシュビッツ収容所跡地で式典が開かれ、
生存者約300人が出席するとのことです。

1945年1月27日、ポーランド南部の現在名オシフィエンチムにあった
アウシュビッツ強制収容所は、ソ連軍に解放されました。
そのとき、約7000人が見つかり、救出されました。
解放までの犠牲者は少なくとも110万人とみられ、
90万人はガス室で殺され、20万人は収容中に死亡したと
みられています。

解放された当時、約7000人の人が助かったということですが、
アウシュビッツに送られた人々のうち、1%も助からなかったのかと思うと、
この収容所のおそろしさをあらためて感じます。
まだ300人の方が生存されていらっしゃるということで、
驚くと同時に、長く生きてこの出来事を後世に伝えていってほしいと思います。
また、第二次世界大戦を生き残った人たちはもう寿命を迎えるということで、
その戦争の出来事を語り継ぐのは私たち後世の人間になってきたとも思います。
この戦争の悲劇をこれからも語り継いでいきたいと思います。

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

プロフィール

やっち

Author:やっち
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『砂漠の狐』
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