スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

明日は沖縄上陸の日

今日は3月31日で年度末ということで、
忙しく過ごしている方も多いのではと思います。
さて、明日4月1日はアメリカ軍が沖縄に上陸した日です。
1945年4月1日、沖縄戦は始まりました。

上陸用舟艇母艦で数多くのアメリカ兵が
息をひそめて上陸日を待っていたのかと思うと、
遠い昔の歴史に思いを馳せます。
アメリカ軍が沖縄に上陸することで、
日本も反撃としての特攻作戦を本格化させていきます。
沖縄の県民も巻き込まれた苦しい沖縄戦がスタートします。

今日、関東では桜が満開です。
スポンサーサイト

テーマ : 太平洋戦争
ジャンル : 学問・文化・芸術

パンツァーフロント

第二次世界大戦の戦車戦を描いたゲーム。
シューティングとシミュレーションの要素がミックスされています。

戦車の操作はただただリアルの一言。
実際の戦車戦に基づいてシナリオが展開され、
在りし日の戦闘をしのぶことができます。

ドイツ軍、アメリカ軍、ソ連軍から選ぶことができますが、
ドイツ軍は難しいです。ティーガーⅠやⅡといった有名戦車を操作することもできます。

個人的に感動したのはアメリカ軍シナリオのバルジ大作戦。
夜の雪が降る中、徐々にドイツ軍の戦車のシルエットが現れて侵攻してくるさまは、
当時のアメリカ兵の緊張を追体験できるように思いました。
非常に熱中した名作のゲームだと思います。

テーマ : 日記
ジャンル : 学問・文化・芸術

ファミコン 怒

ファミコンゲーム「怒」(いかり)について紹介したいと思います。
ヘリコプターが出てくるので第二次世界大戦よりも後の時代設定のゲームかもしれませんが、
ゲーム内容は第二次世界大戦の歩兵戦にも似たようなゲームです。

このゲームに出会ったのは小学4年生くらいかと思いますが、
あまりのおもしろさに強烈にはまりました。
いろいろなゲームと出会いましたが、
このゲームの面白さは群を抜いていました。

戦車を手榴弾一発で破壊したり、
実際の歩兵対戦車の戦いも手榴弾一発で決着つくのかなと思ったりしていました。
実際はそんなことはないのですが、
歩兵戦ということについてリアリティがあり、
こういったゲームを通して戦争とは何かということを徐々に学んでいきました。

ゲームの中では、自爆兵が多数出てくるのですが、
今思うと自爆させるなんて、と思ってしまいますが、
当時は自然で、戦争とはそんなものなのだろうと思っていました。
ゲームに熱中しながら、おぼろげながらも戦争を感じ、
戦争について考えるようになっていきました。

テーマ : 日記
ジャンル : 学問・文化・芸術

エルヴィン・ロンメル

エルヴィン・ロンメル(1891-1944)は
「砂漠の狐」と呼ばれたドイツの将軍です。
ロンメルといえば北アフリカ戦線が有名ですが、
フランス侵攻戦やノルマンディーの防衛戦の戦いでも重要な活躍を見せています。

ロンメルを知ったのは昨日紹介したファミコンゲーム「砂漠の狐」でした。
それ以来、ロンメルという人物に深く興味を持ち、今まで自分なりに研究を重ねてきました。
ロンメルは現場主義をモットーにした人物で、
ここぞという重要な場面で最前線に現れて、現場の指揮を執り、
軍団の士気を高めたそうです。
反面、司令部は留守がちになるので、司令部の副官たちは困ったり、
直接末端の部下に指示を出すので、中間の上司は立場がなくなったり、
いろいろ困った部分もあったようですが、
ロンメルは独自の鋭敏な感覚で戦場の臭いをかぎわけ、
もっとも重要な場面に現れて軍団を指揮し、数少ないドイツアフリカ軍団で
イギリス軍に対し勝利を得たということです。

私は有名でありながらもよくよく調べると欠点も少なくなかった
ロンメルという人物を好きで、今まで調べてきました。
太平洋戦争からは少し広がりますが、
そんな第二次世界大戦のヨーロッパ戦線の部分についても、
少し触れることができたらと思っています。

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

ファミコン 砂漠の狐

小学生のときに出会ったファミコンゲームで、
このゲームで「砂漠の狐」と言われたドイツの名将ロンメルを知りました。
先日の記事でも紹介したフリートコマンダーと同じころに出会い、
海のフリートコマンダー、陸の砂漠の狐
ということで、シミュレーションゲームとの初めての出会いともなりました。

ゲームは単純ながらも奥が深く、
大変にハマったのを覚えています。
小学生のころはなかなかクリアできなくて、
中学生くらいになってからまたゲームを買って、
すべてのマップをクリアしたと覚えています。

このころはまだおぼろげながらでしたが、
砂漠の狐と呼ばれたロンメルという将軍がいて、
第二次世界大戦のときに活躍したということを覚えました。
その後、ロンメルを深く知ることで、
私はロンメルをさらに好きになっていくのですが、
そのきっかけとなったゲームでもありました。

テーマ : 日記
ジャンル : 学問・文化・芸術

インパール作戦

1944年3月8日、インパール作戦が開始されました。
3月のこの時期、ビルマとインドの国境地帯のインパールで
日本軍は侵攻を開始しました。

1944年の日本の敗勢が色濃い時期に
なぜこのような侵攻作戦が開始されたかといえば、
牟田口廉也司令官の度重なる実施要請があったという他に
チャンドラボース率いるインド国民軍がインド解放のための活動を希望しており、
東条英機としては、チャンドラボースへの支援を考えざるをえず、
何らかの形でインドへ侵攻することを考えざるをえなかったという背景があります。

インパール作戦は補給が続かないと分析されていました。
作戦を継続することは補給が続かないから無理であると。
しかし、牟田口司令官の強力な決意のもとに実行されることになります。

実際の作戦過程はやはり補給が続かず、
多くの餓死者を出して日本軍は撤退、作戦は失敗に終わります。

3月のこの時期、日本軍はちょうど最初に持っていた物資が乏しくなりかけてきた頃だろうかと思います。
戦いが始まってすぐに補給が尽き、ボロボロになったところで負け、撤退という姿は
悲劇としか言いようがありません。
インパールの悲劇はこのような季節に始まったのかと思うと感慨深いです。

テーマ : 太平洋戦争
ジャンル : 学問・文化・芸術

太平洋戦争に興味を持った心理

物心ついたときから太平洋戦争に興味があり、
いつから興味を持ったかというのは覚えていません。
子供の頃に意識を持ったときには、太平洋戦争に興味がありました。

そんな状況なので、なぜ太平洋戦争に興味を持ったのかというきっかけはなく、
なぜ太平洋戦争に興味を持ったのかという深層心理まで追求すると分からないままです。
祖父の戦争体験を聞き、また、テレビでもよく戦争に関する番組をやっていて、
非常に太平洋戦争が身近だったということなのだと思います。

太平洋戦争に参加した世代がお亡くなりになるにつれて、
テレビ番組でも太平洋戦争に関する番組が少なくなりました。
私が子供の頃はもっと多くて、
テレビで太平洋戦争の番組をやっていれば、ほぼ必ず見ていました。
友達でも太平洋戦争に関心を持つ友達が多くいて、
戦艦や戦闘機のプラモデルを作ったりして、太平洋戦争の話に花を咲かせていました。

戦争には人間の本質が現れるような気がして、
人間を学ぶ勉強になるような気がします。
今、太平洋戦争に興味がある理由は、
そういった人間の本質を見ることができて、勉強できるから、という感じでしょうか。
人間ドラマがあるような気がします。

テーマ : 太平洋戦争
ジャンル : 学問・文化・芸術

祖父と私 なぜ太平洋戦争に興味を持ったか

なぜ太平洋戦争に興味を持ったのですか、
なぜ太平洋戦争なのですか、
という質問を多く受けます。
自分の深い核心に触れる部分であると思うので、
なかなかすっきりした答えを出すことが難しいのですが、
振り返って自分が太平洋戦争に興味を持った経緯をたどっていくと
祖父の戦争体験に行き当たります。

私の祖父は太平洋戦争に従軍しています。
満州からマレー、シンガポール、ビルマ(ミャンマー)、タイと移動して、
戦中に本土へ戻ってきて、神奈川県のとある工場で終戦を迎えます。
子供の頃からそんな祖父の太平洋戦争の話を繰り返し聞き、
太平洋戦争に興味を持ちました。
太平洋戦争が自分の中でとても身近な存在だったのです。

私のほうからも好んで祖父の太平洋戦争の話を聞きました。
積極的に自分から聞いて、太平洋戦争の話を語ってもらいました。
NHKスペシャルで太平洋戦争関連の話があると、
祖父と二人でテレビを見ていました。
太平洋戦争でわからないことがあれば、
祖父に質問しました。
祖父はいろいろと答えてくれました。
最初の私の戦争研究の講師はまちがいなく祖父でした。

祖父の戦争体験の話は徐々にしていけたらと思います。

テーマ : 太平洋戦争
ジャンル : 学問・文化・芸術

ファミコン フリートコマンダー

太平洋戦争の海戦を描いたシミュレーションゲームです。
ファミコンの太平洋戦争もののシミュレーションゲームの元祖みたいなソフトではないでしょうか。

日本とアメリカの実在の艦船が出てきますが、
プロトン帝国海軍とアルゴン連合海軍の戦いということになっています。
日本とかアメリカとかはっきりと書けなかったところに
当時の時代を感じる思いがします。

私がこのゲームをプレイしたのは小学生のころで、
太平洋戦争の海戦について、このゲームを通して知っていったように思います。
マップも架空のマップで、
中央に大きな島があるのですが、
島は軍事的に意味を持たず、
進攻ルートを二つに分ける意味合いがあり、
たった二つの進攻ルートしかないわけですが、
攻めるのにも守るのにも胸を熱くハラハラしながら戦いを見守った覚えがあります。

大和や長門、赤城や加賀といった
日本海軍を代表する艦船が出てきます。
戦艦同士の砲撃戦や駆逐艦の魚雷戦、航空機の空中戦など、
海戦の要素が織り込まれたゲームでした。
ファミコンゲームなので、コンピューターの動きもワンパターンといえばワンパターンなのですが、
小学生の自分にはそれでも難しく、
勝ったときにはうれしく思ったものです。

テーマ : 日記
ジャンル : 学問・文化・芸術

艦これの「大和」

最近「艦これ」というゲームが流行っていますね。
「艦これ(艦隊これくしょん)」は太平洋戦争に登場した日本海軍の艦船を女性に擬人化したゲームです。
兵器を女性に擬人化するという発想は昔からありましたが、
なかなか受け入れられずに流行らずに終わることが多かったように思いますが、
艦これはそれを成功させたのですごいなあと思います。

艦これは戦艦から空母、重巡、軽巡、駆逐艦と幅広い艦種を擬人化しています。
私が気になったのは大和はどう表現されているだろうかということで、
日本でもっとも有名と言っていい戦艦をどのように表現しているか気になって
画像検索してみたら、
なかなかおもしろく擬人化されていると思いました。
艦橋の後ろのアンテナ部分を傘と見立てているのは面白い発想だなと思いました。
艦これ大和の画像検索結果

ゲームから太平洋戦争の歴史に興味を持つということもあると思うので、
太平洋戦争をテーマとしたゲームが普及することはとてもいいことだと思います。
私も小学生のころは戦争をテーマにしたゲームをいろいろして、
それを通して太平洋戦争に興味を持っていった過程がありました。
今後も流行っていってほしいと思います。

テーマ : 日記
ジャンル : 学問・文化・芸術

硫黄島の玉砕

1945年3月17日、硫黄島で日本軍が玉砕しました。
この日、硫黄島司令部は大本営に宛てて決別の無電を打ちました。
最後の突撃は24日に行われ、組織的抵抗が終了しました。
2月19日にアメリカ軍が上陸作戦を開始して以来、約1ヶ月。
硫黄島の戦いは玉砕という形で終わりました。

今日の関東はあたたかく、春本番という陽気でした。
とある公園に行きましたが、
梅が満開で、散っている梅もありました。
こういう美しい季節に硫黄島の玉砕があったのかと思うと、
とても哀しい気持ちになります。

この後、アメリカ軍は沖縄への上陸作戦の準備を進めることになります。
来月4月1日、アメリカ軍は沖縄へ上陸します。

テーマ : 太平洋戦争
ジャンル : 学問・文化・芸術

太平洋戦争勉強会を開催しました

今日は友人知人に集まってもらって、
東京某所の研修室を借りて、太平洋戦争勉強会を開催しました。

勉強会は2部構成で、
第1部では戦争に関する史跡や資料館を訪れた体験談を語ってもらう内容で、
とある友人に知覧特攻平和会館を訪れたときの話を語ってもらいました。
第2部では、私が「太平洋戦争はなぜ起こったか」ということについて
セミナーを開催しました。
全部で2時間半の勉強会を開催しました。

知覧の話はとても面白く、初めて知ることもあり、参考になりました。
「太平洋戦争はなぜ起こったか」という非常に大きなテーマではありましたが、
話してみて、私自身もとても勉強になりました。
とてもおおざっぱで漠とした内容の勉強会だったかもしれませんが、
集まってくれた友人知人たちにとても感謝しています。

また今日のような勉強会を開催したいと思っています。

テーマ : 太平洋戦争
ジャンル : 学問・文化・芸術

海底に沈む戦艦武蔵 生中継動画

海底に沈む戦艦武蔵の動画が生中継されました。
日本語同時通訳付きの動画をニコニコ動画で見ることができます。
http://live.nicovideo.jp/watch/lv213629652

私もさっそく動画を見ました。
小学生の時に模型で作った戦艦大和(武蔵と同型艦)の形を思い出しながら動画を見ました。
71年間海の底に沈んでいたわけですが、
きれいに残っているものだなあと思いました。
今はもう海の生き物たちの楽園になっているようですね。

戦艦武蔵は今まで見つかっていなかったので、
大きな発見だと思います。

同時通訳の方おつかれさまです。
もちろん撮影したオクトパス号の乗員も。

テーマ : 太平洋戦争
ジャンル : 学問・文化・芸術

トラウトマン工作

1937年7月7日の盧溝橋事件を皮切りに日中戦争がはじまったとき、
ドイツは積極的にこの戦争を仲介しようとしました。
この仲介工作は駐中国ドイツ大使トラウトマンの名前をとって
トラウトマン工作と呼ばれています。
前年1936年に日独防共協定を結んでいたドイツは、
日中戦争の継続は日本の国力を弱らせ、ソ連を利するのみと考え、
この戦争の仲介に乗り出したわけです。

当初日本が出した和平案は穏便なもので、
和平は進むかに見えましたが、
日本は南京を占領する(1937年12月)など、数々の戦勝を挙げたことで
賠償金の請求など苛酷な条件を追加で上乗せし、
中国側は呑めないということで、
この和平は流れてしまいます。

数々行われた日中戦争の和平工作の中でも、
このトラウトマン工作がもっとも実現性が高かったといわれています。
日本が戦勝におごって条件の追加などせず、当初の和平案で進めていれば、
日中戦争は停戦でまとまった可能性があり、
後に続く太平洋戦争も避けられた可能性があったと思うと、
歴史の分岐点はいくつかあったのだろうと考えさせられます。
戦争は終わらせることを念頭に、
どこで終わらせるかをよくよく考えて進めていかないと
泥沼に陥るということを感じます。

テーマ : 太平洋戦争
ジャンル : 学問・文化・芸術

東日本大震災から4年

今日3月11日は東日本大震災が起こった日です。
あれから4年。
早いものです。
4年前のことをいろいろ思い出します。
自分自身の心境についても4年前から比べると
大きく変わったと思います。

東日本大震災が起こった年の夏、
私は福島と仙台を車で旅しました。
原爆や空襲で焼け野原になった後のような風景で、
太平洋戦争で焼かれた街と重なって見えました。

復興はまだまだ進んでいないと思いますが、
一歩でも二歩でも先に進んでいきたいですね。

テーマ : 日記
ジャンル : 学問・文化・芸術

今日は東京大空襲の日

このブログでもすでに何度か書きましたが、
今日、3月10日は東京大空襲の日です。
東京の下町が目標とされ、
推定で約10万人の人が焼死したと考えられています。

B-29は深夜、高度3000メートル以下という高射砲も届く高度で進入してきましたが、
レーダーで探知し、VT信管(レーダーで探知し爆発する高性能な弾薬)を持つアメリカ軍と異なり、
あくまで時限信管(一定の時間が経つと爆発する従来の弾薬)で目視で狙う日本軍は
夜に侵入するB-29編隊を撃墜することはできませんでした。
334機という大群でやってきたB-29編隊に、日本の少数の夜間戦闘機隊では
太刀打ちできなかったのです。

木造家屋が密集した東京の下町は、B-29の焼夷弾の攻撃を受け、
燃え上がりました。
ほとんどの家屋は焼き尽くされ、そんな炎の中で、
10万人という市民が犠牲となり、焼け死にました。

空襲が激化する前に市民たちは避難すればよかったのではないかという思いもあるかもしれませんが、
当時「防空法」という法律により、市民たちの避難は禁止されていました。
逃げずに火を消せという命令だったのです。
1600トンという焼夷弾の猛攻の前に
バケツリレーの水では消せるはずもなかったわけです。

テーマ : 太平洋戦争
ジャンル : 学問・文化・芸術

日米了解案

太平洋戦争が起こるまでの経過の中で、
「日米了解案」
というのが出てきます。
太平洋戦争は避けられたのかという問題の中で、
この案が出た時が太平洋戦争回避に
もっとも近づいた最後の瞬間だったと思います。

日本が太平洋戦争を開戦した最大の理由は
石油をはじめとする資源をいかに得るかということですが、
日本の北部仏印進駐、日独伊三国同盟締結などにアメリカは猛反発し、
くず鉄、鋼鉄などの日本への輸出禁止令を出し、日米関係は悪化の一途をたどっていました。
そのとき、民間ルートで「日米了解案」がまとめられ、
1941年4月16日、野村吉三郎駐米大使からアメリカ側に正式に提案されました。
太平洋戦争開戦のおよそ8か月前のことです。

この了解案(あくまで案ですが)では、日本が武力南進しないことを条件に
日本が必要とする資源の獲得に対してアメリカはこれを支持し協力するという条文案がありました。
日本がもっとも求めていたのは資源であり、
安定した資源の供給がテーマであったので、
日本側にとっては重要な条件でした。
アメリカ側はこの了解案を正式に交渉の俎上に載せるために、
平和的な手段によらない太平洋の現状不変更などの
四つの原則を条件として出しましたが、野村大使はこのことを日本政府に伝えることはなく、
松岡洋右外相によりさらに強硬な修正案が出され、
この日米了解案は流れてしまうことになります。

双方の譲歩があってはじめて交渉は成立すると思いますが、
このときに日本はアメリカ側が提示した四つの原則の承認など、
もっと踏み込んだ譲歩をしてもよかったのではないかと思います。
日米交渉はアメリカ側の時間稼ぎだったという見方もありますが、
戦争を回避するためには、日本側の譲歩が必要だったと思います。
そのような姿勢を示すことで、交渉の流れは変わったかもしれません。

太平洋戦争は不可避だったという見方については、
流れにはいくつかの分岐点があり、
太平洋戦争の回避は可能であったと思います。

日本はアメリカに対し、根拠のない自信が深く、
さらにドイツがヨーロッパで大勝したことにより、
ドイツと同盟を組む日本は、自信をさらに深め、
譲歩する姿勢を見せることなく、
それは戦争へとつながっていくことになりました。

テーマ : 太平洋戦争
ジャンル : 学問・文化・芸術

梅の花が満開です

道を歩くとあちこちの梅の木が満開で、
よい香りを漂わせていて、
春を感じます。
今日はちょっと雨が降ったりして天気が悪かったですが、
この季節はいいですね。

南方のジャングルでは年中暑く、
また満州ではこの時期はまだまだ寒く、
本土の季節感とはかけ離れていたと思いますが、
内地の季節を思いながら兵士たちは生きていたことと思います。

今日の私は一日中動き回って疲れて眠いです。
明日もがんばっていきたいと思います。

テーマ : 日記
ジャンル : 学問・文化・芸術

戦史検定

インターネットで太平洋戦争関連のことをいろいろ調べていたら、
「戦史検定」というものを見つけました。
http://www.senshikentei.org/

太平洋戦争をテーマに行われる検定試験です。
検定試験料は戦没者慰霊碑の保全費用に充てられるそうです。

太平洋戦争をテーマとした知識習得度を計るような試験があればと
思っていたのですが、
本当にあって驚き、かつうれしくもなりました。
まだ試験対策のテキストや問題集、過去問集といったものは
発売されていないようですが、
専用のテキストや問題集も発売されてほしいなと思います。
細かい知識で忘れているもの、覚えていないことは多いと思いますので、
こういった検定試験を通して覚えられればと思っています。

興味がある方はぜひご覧になってみてください。

テーマ : 太平洋戦争
ジャンル : 学問・文化・芸術

3月の大空襲

3月は大きな空襲が大都市で行われた月です。

3月10日、東京大空襲
3月13日、大阪大空襲
3月17日、神戸大空襲
3月19日、名古屋大空襲

と日本の大都市を狙って空襲が行われました。
焼夷弾を使って木造家屋が密集する日本の住宅街を焼き払う作戦で、
東京大空襲では、26万8千戸の家を焼き、推定10万人もの人が焼死したということです。

米軍は当初は昼間に工場群を爆弾で精密爆撃をしていましたが、
効果が薄いと考えられました。
日本は小さな町工場が住宅街とともに一緒になっており、
これらの小さな町工場を無差別爆撃で焼き払い、日本の工業力を根底から破壊することが考えられ、
夜間に大規模に無差別爆撃をする戦術がとられました。
日本は木造住宅が多いわけですが、
それらを燃やすために、従来の火薬を詰め込んだ爆弾ではなく、
着弾すれば火が燃え上がる焼夷弾という専用の爆弾が開発され、
この焼夷弾を活用して大空襲は行われました。
3月の連日の大空襲で、マリアナ基地の焼夷弾は底をついたということです。

日本は被害者としての声を上げることはあまりありませんが、
空襲は民間人も無差別に巻き込む軍事作戦でした。
民間人の住む住宅街も含めて焼き払って戦争の継続能力をそごうとしたわけで、
民間人の大量殺害という側面もあったものと思います。
謝罪と賠償については、サンフランシスコ平和条約で日本は請求権を放棄しているので、
こういった行為について賠償を求めるということはできませんが、
日本もまた、米軍の行った行為について声をあげてもよいと思います。

3月の春先、大都市各地は焼夷弾に焼かれました。
徹底的に住宅地が焦土と化しても、日本の軍部は戦争をやめることがなく、
あと半年近くも戦争は続くことになります。

テーマ : 太平洋戦争
ジャンル : 学問・文化・芸術

タミヤプラモデルの零式艦上戦闘機52丙型

子どものころ、タミヤから発売されている零戦のプラモデルといえば、
21型、32型、52丙型の3種類でした。
21型は機体すべてが白色で、32型は主翼が角形ということで、
機体上面が緑で主翼も丸い52丙型が思い描く零戦のイメージに一番近いということで、
この零戦を最初に買った思い出があります。
主翼の機関銃の銃身もかっこいいと思ったものです。

プラモデルの箱には「重武装、重装甲な零戦」とかっこいいことが書いてあって、
確かに今までの零戦よりはそうかもしれませんが、
第一線の米軍機と比較したときに、
重武装重装甲になったといっても、非常に見劣りするものでありました。
零戦の悲しい点は
有力な後継機が結局最後まで出ず、大戦末期まで使用され続けたことで、
零戦しか使える戦闘機がないという中で、
開発陣は精一杯の改良をしたのではないかと思います。
零戦の性能を120%出し切って、優秀な米軍機に対抗していったのだと思います。

小学生のころに一番最初に52丙型を購入し、
最初のころは塗装などできず、組み立てただけで終わったのですが、
中学生くらいになってから、フル塗装をした零戦を作りたいと思い、
またこの52丙型を購入し、フル塗装して仕上げた思い出があります。

プラモデルは心をときめかせて買ったおよそ30年前から、
何も変わっていません。
今でも同じものが同じように作られていて、
ここまで何も変わらない商品もめずらしいと思います。

テーマ : 太平洋戦争
ジャンル : 学問・文化・芸術

日本軍機の防弾性能

零戦は長大な航続距離や運動性と引き換えに
防御力がほとんどなく、米英の戦闘機にやられて
次第に劣勢となっていったことは史実のとおりですが、
他の日本軍機も似たような状況であり、
一式陸攻はワンショットライター(少し撃てばすぐ火が付く)とあだ名されたり、
おおむね防御力を犠牲にした状況でした。
これに対して、アメリカ軍戦闘機は防御力を重視し、
パイロットの命を守る方向に出て、
日本軍は優秀なパイロットが脱落していくのに対して、
アメリカ軍はパイロットが残り、強化されていきます。

それで、ではたとえば日本軍機が防御力を重視した戦闘機を作れたかというと、
資源が少ない日本では、防御力を強化するほどの金属を充てられず、
やはり無理だったのだろうと考えます。
零戦は非常に軽量化された、逆に言えば省資源で作ることができた戦闘機でした。
防御力を強化するためにはもちろん機体の使用金属も増加するでしょうし、
ただでさえ生産機数が少なかった日本には、やはり無理だったのだろうと思います。

防御力を強化して重くなった機体を牽引するには、大出力のエンジンが必要になりますが、
そのようなエンジンも開発できてはいませんでした。
日本軍機は航続距離に優れ、防御力で重くなった米軍機よりも長くは飛ぶことができましたが、
優秀なパイロットが多くいた戦争初期は長大な航続距離で活躍しても、
技量の少ないパイロットが増えてきた戦争後期では、その航続力を活かすことができなくなります。

アメリカ軍は燃料タンクにゴムで防弾の加工を施すなど、
防弾性能の向上に熱心でしたが、
日本軍は「攻撃が最大の防御」と、防御対策には不熱心でした。
精神力を重視した姿勢、命を守ることを軽視した姿勢の背景には、
資源が限られていたこと、国力の限界があったことも、大きな要因だったのだろうと思います。

テーマ : 太平洋戦争
ジャンル : 学問・文化・芸術

戦艦武蔵を発見か?

今、何気なくヤフーニュースを見ていたら、
マイクロソフト共同創業者のポール・アレン氏が
シブヤン海に沈む戦艦武蔵を発見したというニュースが報じられていました。
http://news.yahoo.co.jp/pickup/6151634

艦首部分の菊の御紋があったと思われる部分と、
バルブが写されています。
何気なく普段生きている中で、突然
太平洋戦争で戦い、沈んだ「武蔵」がニュースの中に出てきたことに
驚きました。

水深1000mのところに沈んでいるそうですが、
そんな写真をよく撮影したと思います。
同氏所有のヨット「オクトパス号」が撮影したというので、
潜水船ではないのだと思いますが、
水深1000m先にカメラを沈めて撮影するのは
大変だったのではと思います。

武蔵は戦艦大和と同型艦で、
1944年10月のレイテ沖海戦でアメリカ軍機の攻撃を受け、シブヤン海に沈みます。
敵艦と交戦することはなく、戦機に恵まれない船でもありました。
沈んだ大和はすでに撮影されていますが、
武蔵の写真は貴重ではないかと思います。

テーマ : 日記
ジャンル : 学問・文化・芸術

自然と学ぶ

子どものころから軍事に興味があり、
一番最初に興味を持ったのは太平洋戦争で、
そこから第二次世界大戦という大きな枠組みを知り、
ヨーロッパ戦線にも興味を持ち、
現代戦や昔の戦争にも興味を持ちました。
そして、一番最初に興味を持った太平洋戦争に
また気持ちが戻ってきて、このブログにいたっています。

いろいろと戦争を知る中で、自然とさまざまなことを学んだように思います。
人々の苦しみを知り、戦争のつらさくるしさ、不幸さを学びました。
戦争に関して世の中では、右とか左とか、いろいろな考え方がありますが、
そういったいろいろな考え方を知り、そんな中で自分なりの意見を成長させてきたように思います。
これからも戦争に関する問題を追い続けていくつもりです。

テーマ : 日記
ジャンル : 学問・文化・芸術

運とは自ら運ぶなり

「運とは自ら運ぶなり」
とは坂井三郎著『零戦の運命』の中に出てくる言葉で、
戦闘機エースとなった男たちが持っていた資質とは何かということで、
その要素を列挙していったときに最後に出てくる言葉です。
「運とは偶然のことに非ず運ぶなりである。」
とまとめられています。

この本を読んだのは中学生の時でしたが、
運とは自ら運ぶなりという言葉を聞いて、深い感銘を受けたのを覚えています。
確かに、運は「運ぶ」と書きます。
自ら運んでくるもの、それが「運」なのでしょう。
そのことを胸に強く刻んで、人生を生きようと思いました。

それから20年以上たちますが、
自分の不遇を運のなさのせいにして、
運は自ら運ぶなりという言葉を忘れることが多くありました。
つらく困難であるときに、自ら運べるものは何もないよと
ふれくされたことも多くあったと思います。
それらはすべて自分の弱さでした。

今改めて、運とは自ら運ぶなりという言葉をかみしめます。
自分の人生を切り開く努力を続けてこそ、
運もついてくるというものなのでしょうね。

テーマ : 日記
ジャンル : 学問・文化・芸術

プロフィール

やっち

Author:やっち
ホームページ:
『砂漠の狐』
第二次世界大戦・太平洋戦争のおすすめ映画、ゲーム、本
http://sensou.link/
メール:
info★sensou.link
(★⇒@)

にほんブログ村 歴史ブログ 太平洋戦争/大東亜戦争へ


検索フォーム
リンク
最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。