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日米了解案

太平洋戦争が起こるまでの経過の中で、
「日米了解案」
というのが出てきます。
太平洋戦争は避けられたのかという問題の中で、
この案が出た時が太平洋戦争回避に
もっとも近づいた最後の瞬間だったと思います。

日本が太平洋戦争を開戦した最大の理由は
石油をはじめとする資源をいかに得るかということですが、
日本の北部仏印進駐、日独伊三国同盟締結などにアメリカは猛反発し、
くず鉄、鋼鉄などの日本への輸出禁止令を出し、日米関係は悪化の一途をたどっていました。
そのとき、民間ルートで「日米了解案」がまとめられ、
1941年4月16日、野村吉三郎駐米大使からアメリカ側に正式に提案されました。
太平洋戦争開戦のおよそ8か月前のことです。

この了解案(あくまで案ですが)では、日本が武力南進しないことを条件に
日本が必要とする資源の獲得に対してアメリカはこれを支持し協力するという条文案がありました。
日本がもっとも求めていたのは資源であり、
安定した資源の供給がテーマであったので、
日本側にとっては重要な条件でした。
アメリカ側はこの了解案を正式に交渉の俎上に載せるために、
平和的な手段によらない太平洋の現状不変更などの
四つの原則を条件として出しましたが、野村大使はこのことを日本政府に伝えることはなく、
松岡洋右外相によりさらに強硬な修正案が出され、
この日米了解案は流れてしまうことになります。

双方の譲歩があってはじめて交渉は成立すると思いますが、
このときに日本はアメリカ側が提示した四つの原則の承認など、
もっと踏み込んだ譲歩をしてもよかったのではないかと思います。
日米交渉はアメリカ側の時間稼ぎだったという見方もありますが、
戦争を回避するためには、日本側の譲歩が必要だったと思います。
そのような姿勢を示すことで、交渉の流れは変わったかもしれません。

太平洋戦争は不可避だったという見方については、
流れにはいくつかの分岐点があり、
太平洋戦争の回避は可能であったと思います。

日本はアメリカに対し、根拠のない自信が深く、
さらにドイツがヨーロッパで大勝したことにより、
ドイツと同盟を組む日本は、自信をさらに深め、
譲歩する姿勢を見せることなく、
それは戦争へとつながっていくことになりました。

テーマ : 太平洋戦争
ジャンル : 学問・文化・芸術

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やっち

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