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山本五十六がもし直率していたら

真珠湾攻撃とミッドウェー海戦は
太平洋戦争で非常に重要なポイントとなる海戦です。
真珠湾攻撃では、第三次攻撃をなぜしなかったか、石油タンクや工廠施設をなぜ破壊しなかったか、
ミッドウェー海戦では、なぜ陸用爆弾で空母攻撃に向かわなかったのか、
といった点が毎度問われることとなっています。

私が思うのは、どちらの作戦も
連合艦隊司令長官山本五十六の考えによる大変重要な作戦で、
もしこの作戦が認められなかったら連合艦隊司令長官の職を辞するとまで
山本五十六は言い切っていたわけですが、
もしそこまで言い切るならば、
山本本人が機動部隊を直率して
真珠湾攻撃およびミッドウェー海戦を行えばよかったじゃないかと思うのです。
連合艦隊司令部を戦艦大和から空母赤城に移し、
日露戦争以来長く構想してきた艦隊決戦の一環として、
戦いを挑んでもよかったのではないかと思うのです。

なんでもかんでも最高指揮官が直接指揮すればよいというわけにはいかず、
現場指揮官に任せなければならないのも組織でしょう。
また、当時の思想での主力はあくまで戦艦であり、
連合艦隊司令部としての設備も、たとえば無線などの通信設備も戦艦の方が整っており、
アンテナの高さも低くて通信設備が弱かった空母では
連合艦隊司令部に不向きであるという意見もあるかもしれません。
けれども、山本五十六は航空機が主力になると理解しており、
真珠湾攻撃もミッドウェー海戦も空母による戦いが大変重要になると理解していたわけで、
一時的にでも連合艦隊司令部を赤城に移し、山本五十六が直接空母部隊を率いて
真珠湾攻撃およびミッドウェー海戦に向き合っていたら、
海戦の結果は変わっていたのではないかとも思うのです。

機動部隊の司令長官は南雲忠一でしたが、
なぜ水雷出身の南雲を指揮官にしたのか、
たとえば航空に理解の深かった山口多聞が指揮官だったら、
といろいろな考え方が出ていますが、
私がおもうのは、真珠湾攻撃にせよミッドウェー海戦にせよ、
日本の運命を決する非常に重大な海戦となることは一目瞭然であったわけで、
「艦隊決戦」の一つとして、
連合艦隊司令部を赤城に置いて、最高指揮官である山本五十六自らが行って
海戦を山本自身が思うように指揮すればもっと違う結果になったのではないかと思うし、
それが本来の姿ではないかとも思うのです。

山本は1943年3月の「い号作戦」においては
ラバウルに進出し、作戦を直接指揮しています。
そして前線部隊を激励するため、前線に進出して、
アメリカ戦闘機隊の待ち伏せに遭い戦死しますが、
もし前に出るのだったら、このような時ではなく、
真珠湾攻撃やミッドウェー海戦のときに前に出ているべきだったと思います。
そして日本海軍艦隊の最高提督として、思う存分戦うべきだったと思うのです。

山本五十六は1943年4月にブーゲンビル島上空で戦死し、
真珠湾攻撃およびミッドウェー海戦で空母部隊を指揮した南雲忠一は、
1944年7月、サイパン島にて自決します。

テーマ : 太平洋戦争
ジャンル : 学問・文化・芸術

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