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昭和館を見学

昭和館

先日のブログでしょうけい館を訪れたことを書きましたが、
昭和館はしょうけい館のすぐ近くにあり、
しょうけい館を出てから昭和館にも見学に行きました。
昭和館は戦中戦後のくらしを再現し、今に伝えるという資料館です。
特に戦争に関する庶民の苦労を伝えることがテーマになっています。
久々にまた昭和館を訪れました。
雰囲気は以前と変わってはいなかったです。

常設展示では庶民のくらしに関する展示をじっくり見ました。
特にどんなものを食べていたか、食事の模型に注目しました。
戦前の食事としてコロッケが展示されていて、
日本に洋食の文化が入ってきていたことを感じました。
戦中は支給された玄米を棒でついて白米にして食べたということで、
棒でつく作業は気の遠くなる作業だったそうで、
当時の苦労を思いました。
今でこそ、白米に精米するのは精米機ですぐにできちゃいますけど、
戦時中は米を一升瓶に入れて、ひたすら棒でつくという方法しかなかったのです。
それは主に子どもの仕事だったそうで、
戦時中の生活に子どもも小さいながらも労働力として組み込まれていたのでした。

戦時中を中心とした庶民の苦しい時代を知ることができる資料館です。
大変参考になり、感動して昭和館を後にしたのでした。

テーマ : 太平洋戦争
ジャンル : 学問・文化・芸術

米ソ両軍がエルベ川で出会う

1945年4月25日、ドイツ東部のエルベ川河畔のトルガウで
アメリカ軍とソ連軍が出会い、
米ソの両軍の戦線がつながりました。
ドイツを西から攻めていたアメリカ軍と
東から攻めていたソ連軍がついにつながったのです。

このとき、ベルリンでは激しい戦いが繰り広げられていました。
米ソ両軍がつながっても、戦争は終わらず、
もうしばらく戦争は継続されることになります。

しかし、第二次世界大戦は米ソの協力でもあると同時に、
米ソの対立のはじまりでもありました。
このとき、米ソ両軍は友好的に握手をしたわけですが、
そのすぐ後に、
米ソは対立をはじめ、
ドイツを東西に分割して、
にらみ合いを始めることになります。

戦争がもっと早く終わっていれば、という思いは
ドイツ人も味わっている感情だと思います。
米ソがドイツ本土に侵入する前に戦争が終わっていれば、
あるいはドイツは東西に分割されなかったかもしれません。
しかし、無条件降伏を突き付けられ、
逃げ場がなかったドイツの最高首脳たちは、
あくまで戦い続けるしかなかったのだろうと思われます。

この5日後、30日にヒトラーは自殺、
2週間後の5月8日、ドイツは降伏します。

テーマ : 太平洋戦争
ジャンル : 学問・文化・芸術

しょうけい館-戦傷病者史料館-を見学

しょうけい館

昨日のブログで紹介したコシチェルニャック展の後、九段下に行き、しょうけい館を見学しました。
しょうけい館は傷痍軍人をテーマとした資料館で、
戦争で傷を負い病気になった人たちの労苦を今に伝える場所となっています。
私は最近、労災や年金を勉強しており、
そんな勉強の中で、傷痍軍人のことを思い出し、
再びしょうけい館を訪ねてみたいとずっと思っていました。
22日に東京に出た折、しょうけい館まで足を伸ばしてみることにしました。

体内から摘出された弾や砲弾の破片などが展示されています。
生きている間は弾の摘出をすることができず、
最終的に摘出されたのは亡くなって火葬された後というものも見られ、
体内に鉄の弾がずっと入っている状況では、
何をするにも痛くて大変だっただろうと想像します。

戦争中は傷痍軍人を大事にしましょうと声掛けがされ、
名誉の負傷と言われることがあっても、
戦争が終わると熱も冷め、
傷痍軍人たちの生活は大変なものでした。
戦争で傷を負った人が安心して生きていけるように
年金制度などを整えることが大事だと思います。

義手や義足なども展示されていました。
不便な生活を想像します。
傷痍軍人たちの人生というのは、
戦争に関する記録の中でもあまり触れられることが少ないように思われますが、
傷を負い病に冒された人たちの人生をもっと伝えるべきだと思います。
そういった中から、戦争の影を知り、
戦争とはやっぱり嫌なものだよねということを
感じることができるのではないでしょうか。

入場は無料です。大変参考になる資料館です。

テーマ : 太平洋戦争
ジャンル : 学問・文化・芸術

コシチェルニャック展を観てきました

コシチェルニャック展

昨日、早稲田大学で行われている
「真実を伝え続ける絵画 アウシュビッツに生きたM・コシチェルニャック展」
を観てきました。
先日、埼玉新聞の記事でこの展示会を知り、
開催期限は今日までということで、昨日、急いで観てきたところでした。

コシチェルニャックという人はポーランド人の画家で、
アウシュビッツ強制収容所を生き残った人です。
その人が書いた絵画を野村路子さんという早稲田大学出身の作家の方が保存していたのですが、
このたび、ポーランドに寄贈される(帰っていく)ことになり、
日本を離れる前に若い人に見てほしいということで、
早稲田大学で展示会が行われた次第です。

絵画はアウシュビッツの光景を描いたもので、哀しいシーンも数多くありました。
私が印象的だったのは、描かれるとらわれた人たちのまなざしに、
人間の尊厳というかあたたかなものが感じられたことで、
描いたコシチェルニャックという画家の意志の強さ・大きさを感じたように思いました。

アウシュビッツの中にいたころ、コシチェルニャックは多くの人物画を書いたのですが、
その絵は地下組織を通して外部に伝わり、
アウシュビッツの中でコシチェルニャックや仲間たちが生きていることを
伝えたということでした。
絵画を見て、その人物が生きていることを知った人たちは
どれだけ安堵しただろうかと
当時の人たちの心情を想像しました。

コシチェルニャックの絵は時代を超えて国境を越えて
私たちに人間として大切なものを訴えかけているように思います。
大変興味深い展示会でした。
このようなテーマの展示会が行われたら、
また観に行きたいと思います。

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

ベルリン攻防戦のはじまり

1945年4月22日、ソ連軍がベルリンに突入、
ベルリン攻防戦が始まりました。
ヨーロッパ戦線は太平洋戦線より一足先に戦いが進んでおり、
ついに首都ベルリンにソ連軍がなだれ込むという状況になっていました。

このときになってもヒトラーは戦争継続を諦めず、
ベルリンが廃墟と化していく中、ドイツ軍は戦い続けました。

このとき、日本では沖縄を舞台に熾烈な戦いが行われていました。
戦争は最後の局面であり、
ドイツ、日本ともに、もう降伏しても十分な頃合いであったと思いますが、
戦いは続きました。

無条件降伏を突きつけられたことは、
枢軸国側の責任者たちの命の保証もされないということで、
降伏を決断できなかった理由になったのではと思います。
無条件降伏ではなく、一定の条件を認めるような姿勢を連合国側がとっていれば、
あるいは戦争終結はもっと早かったかもしれません。

しかし、連合国には連合国の戦略があり、
無条件降伏を求めて完膚なきまでに枢軸国を抑え込もうという姿勢でした。
このような姿勢では戦争はなかなか終わらないと思います。

このあと、4月30日にはヒトラーがベルリンの地下壕で自殺、
5月8日にドイツは無条件降伏し、第二次世界大戦のヨーロッパ戦線は終わります。

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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